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Round Table

文化テロル

そんなわけでGW中は客人を迎えたり絵を眺めたりしていた。たまには普通の日記も書こうと思う。

あらかじめ断っておくと私は普通の日記をウェブ上にばらまくという行為が嫌いで、個人的な毎日の記録などは玉石混淆のウェブ情報をさらに混濁させるだけのうんこだと思っている。うんこは一人で始末すべき、せめてSNSで蓋をすべき、セマンティックウェブよ早く濾過機能を、と考えている。たぶん、他人との親睦云々よりも読書の延長、議論の場としてウェブを扱っているせいだろう。誰が書いているかよりも、何を書いているかの方を重視している。
だが最近はTwitterの影響もあって、何気ないうんこの波にも価値を見いだせるようになってきた。今や世界中の個人の営みをリアルタイムで追える時代、そこに溢れているのは全て人類の生きる姿、余計な偏見が減って世界平和に近づくかもしれないな、と感慨深くなった辺りで気分が悪くなり、排泄物に例えたことを後悔し始めた。以後うんこを土壌ルネサンスと呼ぶ。

とはいえ、かたや芸術とかエンタメとか呼ばれる美文名文も、みんな排泄物の範疇なのだろうとは思う。そこへ周囲が勝手な付加価値を見いだしているだけなのだろうと。
そしてどの土壌ルネサンスが、やっぱりうんこでいいやどのうんこが、他者の糧へと昇華するのかはその時になるまで分からない。毎回隠れファンを励ましているかもしれないし、一億と二千年あとに発掘されて博物館に碑文で飾られるかもしれない。
果たして気晴らしのチラ裏日記は、どの水準から読み手側の気晴らしにもなりうるのだろうか。結局は相性次第だろうか。少なくとも本人の文体練習にはなっているわけで、皆が好き放題に路上ライブするぐらいの有益性はありそうだが。
玉石混淆の石の部分も、実は全て何かの原石なのかもしれない。

前置きの方が長くなったが、こうした打算的な自分への戒めも込めて春の院展を鑑賞してきた。院展は日本絵画珠玉の殿堂である。
素晴らしいとされている絵は、果たしてどれほど素晴らしいのか。
結論から言えば大変素晴らしかったわけだが、技術面のことはよく分からない。とりあえず空気の変え方が違ったと思う。
題名だけ並べると、山好きとしては『対岸の冬』、汚れた二十代としては『夜空に夢』、花泥棒的には『惜春』などが特に効いた。あとは『海しぐれ』に吹く向かい風、『葉音』から溢れる樹のざわめき、『花のかげに』の巧みな視線誘導などが印象深かった。というより、いま題名がうろ覚えなだけで大体の作品が印象深かった。

6年前に訪れたときは「さすがに皆さん上手だな」ぐらいにしか思わなかったが、私も大学生活を経て大体の空気を読める子に育ったようだ。絵画や書といった静的な視覚情報は、観客が自らの変遷をたどるのに最適だと思う。見る者の思い出の数によって絵の価値は大きく変わる。院展の入場客がご年配の方ばかりであったのも、決して秋田が田舎なせいばかりではない。そして秋田も別にそこまで田舎ではないし、日本一四季のはっきりした美しい県なのでみんな早く引越してくれば良い。

ちなみにGW中、他県の人たちを迎えたときは何故かその日だけ土砂降りでおすすめ店舗も満員、なんら地元の良いところをアピール出来なかった。今度誰か来たら太平山でも縦走させようと思っている。

08-05-09 23:45 , 日誌

Commentaires

2008:05:10:08:36:07

日本の北へは新潟県までしか行ったことないので秋田についてはきりたんぽと柳葉敏郎ぐらいしか知らないんですけど、なんとなく色白の美人が多いイメージがあります。

絵もそうですけど仏像見るのも楽しいです。なぜか何見ても彫師の憎悪を感じるんですけど、たぶん気のせいだと思います。

たか : 08-05-10 8:36 [1]

2008:05:10:18:47:59

仏像は、対峙するたび叱られているような気持ちになってしまいます。
それでつい面白一言を言わせてみたり。業は深まる一方です。

でも毎日「仏像で一言」を繰り返せば、悟りを開けそうな気もしますね。三十三間堂で一体ずつとか。
途中から「一言とは何か」みたいな話になっていくのでしょう。

秋田に美人が多いのはガチです。

花泥棒 : 08-05-10 18:47 [2]

2008:05:11:01:33:26

先日、上野でなんとなく若手作家の平面作品展みたいなのにいきました。
すごいと思う作品もあったけど、???な作品がほとんどでした。
どうすれば芸術を理解できるようになりますか?

特に女性の方の作品は狂気じみたというか、精神に障害をきたしたようなものが多かったように感じたのは偏見でしょうか

えこな : 08-05-11 1:33 [3]

2008:05:11:05:43:20

よく分からないけれどなんだか気分は変わる、好き嫌いが残る。だからこそ繰り返し語る価値もある。
私は、そうした人間の証を生み出せるものが芸術だと思っています。
理解されたときは、きっと芸術の終わるときなのだろうと。

それは恋愛と似ているかもしれません。
相手の全てを理解できてしまったら、たぶん成り立たない。
全く理解できなくとも成り立ちませんが、異性の精神構造などは人類普遍の謎だと思います。
それを意味不明に感じるのも、自身が人間である証ではないでしょうか。

花泥棒 : 08-05-11 5:43 [4]

2008:05:11:16:32:16

序文は僕にブログを書くなと言ってるのかと思いました。
駅前の小さい美術館でたまに時間を潰すのですが、展示物と外界を隔てたガラスが天上の蛍光灯を映し出す鏡と化しているので鑑賞どころではありません。
受付嬢がかわいいのが救いです。

いわし : 08-05-11 16:32 [5]

2008:05:12:01:27:02

やはり環境は大事ですね。自室でサテュロスに踊られても困りますし。

序文につきましては、読んだ人が全員、自分のことを言われているような気持ちになるものを目指しました。
もっと暴れて「全員死ね」などで締めくくれば、作品としての評価対象にもなったのでしょうけど。どうにも中途半端。

世間体を無視するのは難しいです。

花泥棒 : 08-05-12 1:27 [6]




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