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お花見雑感

 フィードリーダーがキャズムを越えられなかったのはRSSが2.0だったり一方Atomだったりと仕様がブレ続けたせいもあるけど、その受信設定を「購読(subscribe)」と表現したのが良くなかったんじゃないかと思う。購読しますかとポップアップされて躊躇なくYesできる人間なんて酔っ払いか田舎貴族ぐらいでしょう。無料のものにお金のかかるような印象だけ与えてしまって誰も得しなかったんです。
 Googleリーダーが終了したころ、すでにみんなの情報源はSNSが中心となっていて企業はレコメンデーションに躍起で、大人は何かとFacebookの勢いに焦っていた気がする。君も利用者の人脈に乗じた囲い込みで収益を安定化しよう。すきま時間を上手に盗んでロングテールビジネスにあやかろう。そうしてあるときブクログもPocketも(iPhoneミュージックさえも)ソーシャル機能みたいな何かを始めて急にインタフェースが改悪された。俺はびっくりした。交流などはやりたい場所で勝手にやるから今までの機能を今まで通り使わせてほしい。内部検索やブラウザ拡張を潰すようなアップデートはちょっと勘弁してください。しかしお金を払わないユーザーに人権は無いので、迫害されても黙って死ぬか自分がエンジニアになるしかない。子曰く学びて時にこれを習う、APIだって公開されてるしググれば誰でもそこそこいける、またよろこばしからずや。自己責任論が跋扈して友達のいない人間がどんどん生きづらくなっていくのはネット上でも変わらなかった。
 個人的な話をするとSNSに作ったのはテストアカウントや付き合いから生じた清廉なデコイばかりで、真面目に参加していたのは初期のmixiぐらいだったと思う。それも途中から観覧用に細工して活動実態はレンタルサーバ上の鍵付きCGIへと移していった。いつしかmixiはFacebookやTwitterの真似事を始めてアイデンティティを失い、顧客流出を招いた末にモンストで息を吹き返したそうだがスマホゲームの世界はよく知らない。休憩中に無心に遊んでいる方々を眺めて、俺も付加価値いっぱいの製品を広めて儲けられたら素敵だなあと思いながらぼんやり未読記事を仕分けていた記憶がある。本当はTumblrを眺めてぼんやりしたかったが不意に肌色の多い画像が流れてくるため職場では控えていた。
 記事の仕分けにはiPhoneアプリのReederを使ったが、気になった見出しをPocket宛にフリックするだけで本文は開かず全て既読にしていた。Pocketの中身は時間のあるときパソコンのブラウザから一度に開いて即閉じるか読んで閉じるか読んでEvernoteへ投げて閉じるかした。わざわざパソコンへ移動していたのは結局それがいちばん楽だったからで、特に拡張機能のAutoPagerizeで1記事を1ページにまとめてクリップできたのが良かった。複数URLに細切れされた記事読むのすごく面倒なんだけど、あれページビュー稼ぎ以外に何か理由あるのかな。最後のページなんて数行で終わったりプロフィールぐらいしか無かったりするよね。CMのあともまだまだ続くよとテロップ出しておいて続きが次回予告だけみたいなことをする人は早く捕まってほしい。
 話を戻すと俺もいよいよ美的実存から倫理的実存へ移るところだったので、禅的なデザイン思想に倣ってデジタル断捨離を図ったり、色々と試したら余計に散らかって面倒臭くなったので丸ごと放置したり忙しかった。フィード登録数もFeedlyやInoreaderへ移行しながらずいぶん減らしたが、それでもはてなブックマークの人気記事など含めているとみるみる未読数が増えていく。読まなければと思うとストレス源に転じてしまうため増えるに任せて気にしない。気にしないようにとも気にしないよう登録自体は残しておきながらわざと忘れるようにしている。煙草もここ数年吸っていないが特に禁煙しているわけではなく、用意しておきながら敢えて吸わないプレイがたまたま続いていることになっている。いつでもできるとなかなかやらないので、忘れたいものは距離を置くより背景になじませた方がいい。何かの歌詞みたいだな。
 しかし自分から何かを調べようとするとき、ブクマ数による評価の存在自体を無視することは難しい。俺は今でもGreasemonkeyのJapanese Popular SBM Count With Googleをあらゆる端末から使いたいと思っている。さっき余計なこと言ったせいで曲名みたいに見えてきた。昔は他人の好みなど関係無いように思っていたが、みんなの足跡に従えば予備知識の無い業界からも情報を拾いやすくなるため大勢の好みは侮れないのだった。少なくともSEO対策ばかりの画一的で内容スカスカなサイトを掴まされるよりは健康的だろう。花見会場も美味い出店には行列ができているし、インスタ映えする隠れスポットは露骨な人だかりが発生して傍目に分かりやすくなっている。把握している限りではどれもだいたい正解で、みんなが真面目に正しく情報共有しているような印象を受ける。たまに独りで峻厳な地形を攻めているおじさんなど見かけるとブクマ1の発掘記事みたいでかえって期待してしまう。
 可視化された群衆(とされる何か)の影響を受けずに済む日は無くなってしまい、それが誰かのステマであるかどうかを気にしてしまうときりがない。サクラは古典的ながらますます普遍的な手段であって、干渉されたくなければ電波の届かない場所におられるか出家するしかないだろう。ただし祭りに際しては損得勘定を抜きに乗ってしまった方が満足できることもあって、商業的には絶えず祭りを仕掛けられる者が勝ち残るのだろう。独り善がりに終始しがちなフィードリーダーを捨てて、ソーシャルフィルターに注力したGoogleの方針はきっと正しかったに違いない。肝心のGoogleプラスは流行っていないが応援している。
 俺はリテラシーの高い消費者だったがあくまで消費者に過ぎなかった。当事者意識は自分の持ちたい場所で持てば十分だし、大抵の問題は他人事のままで構わない。本当は情報の取捨選択なども早くAIに丸投げしたいと考えている。嗜好や重要度を熟知した何者かが良い感じに要約したデータを持ってきてくれる「あとで読め」サービス。まあそれは新聞ですね。とりあえず適当なキュレーションアプリでも使えば良いのだろうが、油断しているとすぐ賞金ゲームとかクーポンとか始まるのでちょっと引いてしまう。情報を薦めてくれるサービスを全て集約しつつ重複を弾いて最適化できるような仕組みがあれば有料でも構わないと思っていたが、そういう広告機会の減りそうなものは私企業に期待できないので、やっぱりPlaggerやIFTTTについて調べて各自でがんばるしかないのかもしれない。でも俺は一切がんばりたくないし道具に使われる時間を減らしたい。最終的には文章を読むことすら機械に任せて勝手に知見のようなものを蓄積してもらい寝ている間に脳へ直接インストールしたい。それが可能となるまでは無知ゆえに自由を失う現実があることを自覚せず、自分の好奇心を欺きながら生き続ければ大丈夫だ。見えない分身たちが知らない場所で崇高な作業を進めているつもりになって、Tumblr以外のアカウントを全て放棄する。そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう。

18-05-05 21:30 , 日誌




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